スポンサードリンク


スポンサーリンク

はじめてのおつかいを見て

先日、帰宅してテレビをつけたらはじめてのおつかいを放送していました。

この番組が昔から苦手であまり見たことがなかったのですがこの日はスタジオゲストに菅田将暉くんがいるではありませんか👀下心でチャンネルはそのままに。※私が突然菅田将暉くんファンになってるんですがこれについては後日書きます(照)

と言ってもテレビを付けた時点で番組はほぼ終盤で、一番最後に組まれていたパートしか見られなかったのですが、ちょっと私の経験について考えさせられた部分があり、こちらに記しておくことにしました。

今回紹介されていたのは生まれたときから障害で視力が殆どないという成人の男性、幼少期にはじめてのおつかいに出演した男の子が成長した現在の姿でした。今は指圧マッサージの資格を取り、立派に働いていらっしゃいます、という説明の後に彼のおつかい体験の再放送がはじまりました。

お母さんから、弟のおむつの買い出しを頼まれた男の子。当時の弱視の少年です。快く引き受けて玄関を出るのですが、その後暫く家の前から動きません。お母さんがすぐに外の様子を伺って気づき、結局途中までお母さんが誘導します。というのも、彼は今までひとりでの外出経験がないだけでなく、外を歩く際は必ずお母さんが強く手を握り引いて歩いていたのです。それ故ひとりでのおつかいは不安が大きく、押し問答しながらも少年はぐずりにグズって結局はお店までお母さんが付き添うのでした。

私が気になったのは、この道中でのやりとりにあったお母さんの少年に対する発言。「一人で買い物に行けない子はお母さんもう嫌いだよ」みたいなニュアンスで怒っていたのです。恐らく、この言葉に「十分な段階を踏めないまま挑戦させられたことが出来ないのは当たり前なのに、それを突然嫌いと言われましても…」と不快感を覚えた方もいると思います(勿論練習はしていたでしょうが)。逆に、このお母さんと同様の叱り方をする人もいる方も結構いらっしゃるのだろうと思います。何を言っても聞かないのが子どもです、多少強めに言いたくなる気持ちもわかります。と、ここまでが2018年までver.だった私の場合の感想です。

以下、少し自分話に脱線します。正月帰省の際、妹が「ピアノが弾けるようになりたかった」という話を始め、そこから家族の昔話になりました。私は人より記憶力がよく、しかも残念ながら嫌な記憶ばかりを覚えています。この時、私は幼少期に母からエレクトーンを一度だけ、恐らく小一時間分ほど教わった話をしました。ドレミのうたのドとレのフレーズを基本メロディとして教えられ、あとは応用で進められるからと母は部屋を離れ家事を再開。私は言われたとおりミとファのフレーズを練習し(ソ以降はメロディが変わるのでまた教えてもらえると思ってた)ド~ファが弾けるようになったことが嬉しくて繰り返し弾きながら満足していたら様子を見に来た母が「そこまでしか出来ていないのはやる気がないからだ」と言い放ち、その後2度とエレクトーンを教えてもらったことはありませんでした。

私の両親はわりと厳しい人でした。とはいえ決して成績や学力については一切厳しくされたことがなく、むしろ今も昔も全員が冗談を飛ばしまくって笑いを取れる程仲は良いです。しかし、幼心に甘やかされた記憶が殆どありません。もちろん私や妹が気づかないところでたくさん優しくしてくれてたのは確かですが、褒められた記憶があまりなく、逆に不意に怒られることがままありました。主観ではありますがわがままをあまり言わず、悪さをして叱られるのがとにかく怖いからなるべく面倒を起こさないように大人しくして生きていた気がします。両親も共働きだったので手伝いや自分のことを自分で行う機会が同級生より多く、幼稚園のころから2つ年下の妹を連れて2人で徒歩15分ほどのクラスメイトの家まで歩いて遊びに行ったり、ひとりでスーパーの少量のお使いを頼まれたりしてました。迷子にもならず寄り道もせず単独で外遊びや買い物にいけることを友人らの保護者の皆さんは褒めてくれたのを覚えていますが、我が家では当たり前、やらないという選択肢がないと思い込んでいたため「認められて嬉しいけど、おだてられているだけなのでは」とすら感じていました。ひねくれの開花が早熟でしたね!(因みに単独の買い物は商品の買い忘れや間違いはあった気もしますがそれについては怒られることは流石になかったです)

これらの経験から「子どもでさえも窮屈に感じて生きているのが現実」「同じ思いをする人間を私が生み、健やかに育てる自信はない」と考えていたため、あまり子どもをほしいと思ったことがありませんでしたし、子どもという存在もあまり得意ではありませんでした。はじめてのおつかいが苦手だったのは、上記に加えて「幼少期の私にとって当たり前だったことが見せ物になるのか」という違和感もあったのだと思います(やっと最近になって、友人の赤ちゃんのあまりの可愛さに考えが変わってきた部分も多いです^^)両親と言いつつ母のエピソードばかりですが、父は当時深夜まで働いたりとかなり忙しかったようなので恐らく母が働きながら家事育児を行っていたからだと思います。

そんなこんなで「いやぁあのエレクトーン事件は一生忘れられないわ、今だってキレ所は謎のままだしあんな幼いときに正しい回避方がわかるわけないもんw」と笑い話にしました。しかし私はめちゃくちゃ根に持つタイプゆえ過去に何度かこの話をしています。

すると妹が小声で私に話してきました。

「お姉ちゃん、気持ちはわかるし私も思うこといくつかあったけど、あんまりお母さんのこといじらないでおやりよ。」と。

どうやら妹が単身北海道生活から実家に戻り、両親と一緒に過ごす中で最近母が昔を思い出しながら度々反省のようなことを口にしているのを耳にするようで、エレクトーン事件などについても「ひどいことをしたと思っている、ただ当時はいろいろと本当に余裕がなかった」と話しているとのことでした。確かに、家計を支えているのは父とはいえそれ以外の負担を請け負っていたらエレクトーン教えるなんて無理じゃん…いま職場で仲の良い子持ちのお姉さんも物凄く大変そうなので、今までは理解できなかった状況も今なら多少想像しやすくなりました。エグい、もし短気のサラブレッドである私が当時の母の立場であれば即ブチギレてたはずです。身内相手の冗談半分とはいえ、こちらも無神経であったなと反省し母に謝罪し今後は相手の気持ちも考えて発言しなければと痛感しました。

話をテレビに戻します。こんな経験をした直後に番組を見たので「このお母さん、めちゃくちゃ大変だったろうな…」と必要以上に感情移入してしまい、もう感動も出来ないほど胸が苦しくなってしまいました。これは息子の成長だけでなく、お母さんの子離れのための大切な経験だったんだ、という考え方がやっとできるようになりました。番組は最終的にドラッグストアまでは親子揃って到着し、息子くんがひとりで入店、お母さんも助けたい気持ちをぐっとこらえて息子君が無事にお会計を済ませることが出来ました。再放送パートが終わり、現在はひとりで問題なく仕事に向かう成長した青年の姿で番組が終了しました。お疲れ様!!!!

という、みんなの成長や自身も少しだけ大人になれたような気がして、職場のお昼休憩で先の子持ちお姉さんに話していたのですが、彼女が私を上回るエピソードをお持ちでして

「親の行動でいまだに許せないことあるのわかります。小さなエピソードはいろいろあるけど小学生のとき親の転勤でドイツに引っ越して日本人学校に通ってたんですけど、言葉もわからないのに通学初日から地図も住所も持たされないままひとりで電車で行き帰りさせられたんですよ」

それ、私なんか比にならないくらい大変なやつ…お姉さんのお母様もいろいろ抱えて余裕がなかったのか、寛大な方なのか。お姉さんは後者であると予想してました。

まだまだだけど、これでも私は成長してます。それでも上には上がいます。斉藤和義の曲で一番大好きな「ベリーベリーストロング」の中に「自分の仕事が一番辛いと思う奴にはならない」という歌詞があり、それだけは忘れてはいけない事実だと思って生きています。ただ、あんまり上ばかり見てもあっぷあっぷで苦しくなってしまうため、自分の足元もちゃんと見て胸を張れることは自身で褒めてあげつつ、なりたい私への目標を目指して参りたいと色々気づかされた出来事でした。何はともあれおつかいを無事に終えられたしゅうくんとお母様お疲れさまでした!そして大変な思いをしながら私を育ててくれた両親に労いと感謝の気持ちでいっぱいです、本当にありがとう。幼少期はあんなに出来る子だったのにこの年になって未だに(むしろ今が一番)お金のない困った長女なのですが、どうかこれからも何卒よろしくお願いします。

コメント

タイトルとURLをコピーしました